失恋したってボディクリームを。
わたしの見る目が無かった。別に悲しいこともない。
こんなことはよくある事だし、こんなにせわしい日々のなかだから、ひと月後には忘れちゃってる。
お酒を飲んで忘れたい程の思い出もない。
だって飲まなくたって覚えてないし。
つまらない感情。
熱い足で冷たいシーツの場所を探すみたいな。でもそんなの恋じゃねえよ。
わたしは認めてないからね。
絵を描く時に何を思い出すかと言えば感情で。
わたしは、水彩画の時は写真を見ながら描くことが多くて、それは自分で撮った写真なのになかなかその時の心情が思い出せない。
でもその風景に惹かれたのに、自分では白い紙に描き出せないと思うのは全く記憶にない景色。
わからないものに惹かれるというのは性なのかも。
まあそんなことはどうでも良い。
とにかく最近飲んで飲んで飲みまくって、酒が抜けていることの方が少ない。
わたしは何をしているのかと思う傍、これが自由な人生なのではないかと思っている。
素面で過ごせるほど人生は優しくないし、泥酔して生きれるほど人生は甘くない。
分かってはいるけど、どうにか適応しようとしてもがいて辿り着いたのがこれ。
毎日酒で気絶するくらい飲んで、起きて、音楽を聴きながら絵を描いて。
わたしはそうじゃなきゃ、感情や思考なんて消化できないの。
誰かのために生きるとか、自分の生死を他人に委ねるのは嫌いなので。
それこそ病気や事故で死ぬのもやだ。
死ぬなら自分の意思とタイミングで死にたい。
酒も飲みまくって煙草吸いまくってピアス開けまくって、わたしは全部自分の意思でやってる。早く墨も入れたいし、矯正もしたい。
誰かに好かれたい。
って感情はあるけど、でもそれが自分の全てではないから。
わたしは、わたしの毎日を蔑ろにしたくない。
なんとか強く生きたいし、泣きたくないし、嫌われたくないし。
だから、髪を可愛くしたり、化粧を変えたり、良い匂いのするボディクリームを塗ったり。
それは別に誰かのためではなくて、わたしのため。わたしのつまらない人生に色をつけるための行動。
そうやって、君が、ぐだぐだと、アホみたいにもたついてる間に、わたしは絶対、0.5歩でも先にいたい。
だからね、勘違いしてんじゃねえよ。
わたしがお風呂上がりにボディクリームをぬるのは、決してお前のためじゃない。
エロ。
音楽の趣味が、なんか合って。
わたしこれ好きなんだよね「俺も好き」ってそっから始まって。
流れてきた別の曲。その曲もわたし、好きだった。
抱いてくれないくせに、その曲を送りの車で流す感性は大嫌いだけど。
別にそういうことをしたいわけではなくて、ただ、わたしはなんかハッキリして欲しくて。
眠る時に抱きしめてくるのも、濡れてる髪を(ウザいからか知らないけど)乾かしてくれるのも、頭を撫でてくるのも、全部なんだか分からなくて。
何を考えているのか分からない。
好きな子は一人じゃなきゃいけないのが不思議だっていうその思考も。
そういう子に出会えたらその子一人だけ愛すってわたしに言える神経も。
彼女と別れたよって言った意味も。
こうやって、色んな人と休みの日に会ったりしてるのって聞いたその気持ちも。
マジで分からない。
「お前は遊ぶだけって言っても情が移る。結局いつも好きになって傷ついて帰ってくるんだろ」って昔からの知り合いに言われて、「わたしは遊びって思ったら遊びだよ。情なんて移らないわよ」って強気に気取って言ったけど本当にその通り。
好きじゃない風を装って、でも急に何か言われてドギマギして、好きなことなんてバレてると思う。すごく滑稽だと思う。
それを利用してる相手にムカつくけど、結局惚れたもの勝ちなんだからしようがない。
今のわたしの立場はめちゃくちゃ弱いから。
会えない?って言った時の「じゃあ遊ぼうか」だけで喜んでしまうようなチョロい女なんだもん。
そんなの近くにいる女だったら誰にだっていうだろうに。
ただそこにわたしがいるだけって話なのに。
虚しいけど、それでも満たされてしまう。
所詮それまでの女だし、それってわたしのせいだし。
わたしは誰かに愛されるような人間ではないの、分かっている。
顔も、性格も、何にも可愛くない。それを理由にして逃げるのは良くないこともまた、分かっているけど。
こうやってつまんなくなっていくんだなって思う。
その日に飲んだ人とホテルに行って酒飲んだり、記憶なくなったり、よくないのは分かってるけど、でも、だって、じゃあ誰か愛してくれんのかよ。
暗い部屋で、イヤホンつけて、音楽を流して、現実逃避をして。
これも君の車で流れてたなぁって思いながら、明日も二日酔いなんだよ。
記憶なんてもう無くていいから、誰か愛してくれたらいいのにな。
元彼へ
今年も夏が近づいてきた。
わたしが一番嫌いな季節。
これは一つの区切り。
一番好きだった(正確には今も好き)な彼氏がいた。
付き合ったのはちょうど夏の終わり頃。暑かったし若かった。
仕事終わりに飲みにいき、わたしの押しで付き合った。
素敵な人だった。静かで優しくて頭がとても良かった。笑顔が可愛くて、笑ったときの顔も声も、全部が好きだった。完璧だった。
夕方に起きるわたしは、起きたら彼に連絡をする。近くのカフェに呼ばれて行って、カフェオレを飲んだ。ゲームセンターに行って音ゲーを教えてもらった。うるさいパチンコ屋さんで、勝ったらステーキを食べたり焼き肉を食べた。スーパーのお寿司を2人で分けて食べた。朝まで麻雀を教えてもらった。知らないアニメを教えてくれた。お風呂は絶対一緒に入った。悲しい時は慰めてくれた。一緒に公園で花火をした。コンビニで買ったアイスを食べながら帰った。可愛いものを愛してた。わたしのこと、全部馬鹿にしなかった。絵も趣味も容姿も。わたしはそんなの初めてで、この人とずっと一緒にいたいと思った。
わたしがクソみたいに酔った時や、病んだ時にたくさん迷惑をかけて、たくさん喧嘩した。
今振り返れば、ありえないほどの迷惑をかけた。
わたしの仕事前にご飯を一緒に食べたこと。
起き抜けに漂う煙草のけむり。
なんにも入らない冷蔵庫。
せまいお風呂。
しゃぼん玉。靴下。ゲーム。空き缶。
一緒に歩く道は全部が楽しかった。住宅街も、なんてことない道路も。全部特別だった。
四六時中ずっと一緒にいてもまだ一緒にいたかった。
今でも戻りたいと思う。だけどそんなことは無理だし、きっと万が一に戻れたとしたってきっとまた、上手くはいかない。
夢に見るほどまでに好きで、その後誰かと付き合っても比べてしまって続かなくて。
あの時期が一番、どうしようもないほどわたしは荒れていて、だけどわたしの人生の中で一番綺麗で夢みたいだった。
遠くに行ってしまって、その時「一緒にいく?」と言われた時。
行かなかったのは正解だったのか。
こんなに今も後悔するなら行ったら良かったのか。
あとから思ってもどうしようもない。
今は連絡先も知らない。
何をしてるのかも知らない。
きっと楽しく過ごしてるね。そうじゃなきゃ困る。
数度目の夏。自分の中で終わらせる。
勝手に引きずって、勝手にずっと好きだったんだけど。
きちんと終わりにしたくて、文にした。
余計
二週間に一度、耐えられない夜が来る。
わたしは布団の中でそれが過ぎ去るのを待つ。
心臓が痛くなり、自然と目から涙が出る(悲しいわけではなく)。身体の表面は暑いのに中身は冷たく気持ちが悪い。息が苦しくて呼吸に時間がかかる。
それは自然とどこかに行くのを待つしかない。
高校の頃からずっとある。
その頃は脳の中心で小さな地球が爆発することを考えると落ち着いた。今は意味がない。
毎日夢をみる。いい夢はほとんどみない。仕事をしているか、他人と喧嘩をしているか、誰かに追いかけられたり殺されたり殺したりしてるか。夢の中では何人も殺しているし、また、何回も死んでいる。死ぬのは怖いけど、やっぱり良いなと思う。
夢と現実の区別がつかない事がある。
夢の中で他人と喧嘩をして目が覚めた時、しばらくどっちが夢で現実なのか分からなかった。
最近は、むしろ今が夢なんじゃないかとも思う。割とマジで。
人が怖い。何故関わり合いを持たなきゃいけないのかと。生きる為だと言われるので、それなら死ぬわ、とかえせばどうしてそう言うこというのお医者さんいくよ何か困ったことがあるなら話してなどと話にならない。困ったことに生きているということに困っている。
とはいえずっと誰かに助けて欲しい気持ちはあるけど、そういうことを他人任せにしてはいけないなと最近は気がついた。だからといって求めないわけじゃないんだけど。
きっとこの先も変わらず底辺でのたうちまわって死ぬんだろうな。ならせめてわたしのやることに口出さないで欲しいよ。
自由と不自由
わたしは自由に生きたい。
でも自由というのは不自由で、才能がないと自由には生きられないとわたしは思っている。
自由の定義は人それぞれだから一概には言えないけれど、少なくともわたしの求める自由は不自由の上にある。
わたしの思う自由は、例えば苦手な人付き合いをしなくて良くて、のんびり絵を描いて好きなところに好きな絵を彫って、ピアス開けたり髪色を綺麗にしたりすること。
わたしが自由を勝ち取るには、人と関わらない仕事をしなきゃいけないし、さらにそれには努力もしなきゃいけない。
わたしは努力が嫌いだ。ついでに、「努力が実を結ぶ」という言葉も。
「努力が実を結ぶ」と言っている人は、努力の結果良い方向にいった人だけだし、成功者の声ばかり大きくきこえてしまうものだから正しいと思わない。
努力してうまくいかなかった場合の苦痛とか考えると、わたしは努力せずなあなあに生きていた方が楽だし怖くない。
努力できる人はすごいと思うし尊敬する。
そういう人が自由に出来るのは当たり前だと思う。
だから、わたしにとっての自由は不自由を基盤にしてある。
あと、自由はリスクと隣り合わせであると思う。わたしにはそんな賭けに出る度胸がない。
少し苦痛でも頑張ろうと思う事も、仕事も、何もない。
そして人生に対してのやる気がない。
産まれてきただけで仕事してお金を稼ぎ健やかに生きていかなければならないという最低条件を満たすやる気も元気もまるでない。
自由は贅沢品だ。
わたしのように口を開けてボサッとしている人間の身の丈には合わないような贅沢なものだ。
だからわたしは大人しく仕事に行く。
つまんない人生だけど、しょうがない。
だって何にも頑張りたくないもん。
真面目系クズの思想日記
三年前の日記の下書きを見つけて読んでみた。今思っていることと大方同じようなことが書いてあって、マジで何も成長していなくてツラい。三年前からわたしは泥酔しているし、好きって何なんだとキレている。なんの進歩もなくただ息を吸って吐いてヘンな男と付き合って飲酒しているだけ。
彼氏という存在がまたいなくなり、自由な生活に戻ったがそれがいいのかどうかはわからない。いろんな人と飲みに行って、昼間の10時とかに帰ることが良いことでないのは分かってるんだけど。
心を穏やかに保つには、好きなことを好きなようにすべきなんだ。もちろん人に迷惑はかけてはいけないのでそこは(出来るだけ)気をつけながら生きているけど。
飲みに行って適当な人とするセックスも本当は嫌じゃないし、自分がハマらなければいいと思ってる。自分を強く持っていて、そして本気で信用している人間以外に余計なことを言わなければ穏やかに楽しく健やかに生きていける。
病むくらいなら飲酒するし、金がないなら働くし、優しい人とアイスクリームを食べたりしたい。そんな生活でいいし、その中で大切なものを見つけたらそれを大切にすればいいんじゃないかな。チャラチャラ真面目に生きすぎて失敗したので、これからは注意深く不真面目に生きてみる。それが世間から見た“クズ”だとしても、わたしが悲しくならないならもうそれでいい。それで無理なら死んじゃえばいい。
そして最近いい女になろう計画を実行している。もうそろそろブスで生きるのがマジでシンドイしモテまくればいい人と出会える可能性も当然上がるという浅はかかつ卑しい考え方からなんだけど。ひとまず髪型髪色、香水、化粧を変えた。基礎化粧品の見直し、似合う服装を模索、ダイエットも再開した。あとは歯医者へ行かないと。最終的に禁煙もする。まあいま煙草吸いながらこれ書いてるんだけど。
酒もほどほどにして(仕事以外は別)、ちゃんとした女になろうと思う。毎回言ってるけど今回はマジです。
自分の幸せと価値観は自分で守らなきゃならない。他人はなんにも守っちゃくれないから、最終的にもし一人で生きていけるようになっても大丈夫なようになるんだ。だからデザインのお勉強も少し始めてる。これはわたしなりの人生に対しての “武装” 。底辺の今だからこそ、這い上がってサイコーになってやる。
今、欲しい幻聴がある。
4月なのにまだ寒い。気温もバグってるからか知らないが、脳がバグってる。回路がどうもおかしい。前まで飲酒のせいでへんなことを考えていると思ったのに、今じゃ逆で、素面の時に変なことをしでかす。
だけど、花が咲けば綺麗だし、寝ている彼氏の首元の匂いを嗅いだりする。ただただ、足が痛かったり脳が痒かったりするだけだ。
生活はいいとは言えない。堕落している。必要にかられて洗濯をするだけまだ良い方だし、マシではあるけど。
この先の予定はある。決まっている予定。旅行とか、仕事とか、そういうの。将来の予定は決まってない。だいたいそうだと思うけど、漠然としすぎている。
好かれる人間になれない。みんな結局離れていくのは知っている。それはわたしがいい人間じゃないから。好かれる人間はよく分かる。それにはなれない。頭悪いから。上手くできない。甘えなんだけどね!
それなりに楽しくやってるけど、キチゲたまって寝る前に部屋で叫んだ。何にもスッキリしなかった。酒も薬も、本当は全部わたしを救ってくれない。ハムスターを飼おうか。花を咲かせようか。髪を切ろうか。何にもできないクセに言うだけ。
いなくなったみんなも、好きなふりしている人も。
今とっても寂しい。どうしてこういう時に話し声が聞こえないんだ。その声があれば、きっと暖かく、穏やかに眠れるのに。
毎日苦しい。まだ生きるけど。