自由と不自由
わたしは自由に生きたい。
でも自由というのは不自由で、才能がないと自由には生きられないとわたしは思っている。
自由の定義は人それぞれだから一概には言えないけれど、少なくともわたしの求める自由は不自由の上にある。
わたしの思う自由は、例えば苦手な人付き合いをしなくて良くて、のんびり絵を描いて好きなところに好きな絵を彫って、ピアス開けたり髪色を綺麗にしたりすること。
わたしが自由を勝ち取るには、人と関わらない仕事をしなきゃいけないし、さらにそれには努力もしなきゃいけない。
わたしは努力が嫌いだ。ついでに、「努力が実を結ぶ」という言葉も。
「努力が実を結ぶ」と言っている人は、努力の結果良い方向にいった人だけだし、成功者の声ばかり大きくきこえてしまうものだから正しいと思わない。
努力してうまくいかなかった場合の苦痛とか考えると、わたしは努力せずなあなあに生きていた方が楽だし怖くない。
努力できる人はすごいと思うし尊敬する。
そういう人が自由に出来るのは当たり前だと思う。
だから、わたしにとっての自由は不自由を基盤にしてある。
あと、自由はリスクと隣り合わせであると思う。わたしにはそんな賭けに出る度胸がない。
少し苦痛でも頑張ろうと思う事も、仕事も、何もない。
そして人生に対してのやる気がない。
産まれてきただけで仕事してお金を稼ぎ健やかに生きていかなければならないという最低条件を満たすやる気も元気もまるでない。
自由は贅沢品だ。
わたしのように口を開けてボサッとしている人間の身の丈には合わないような贅沢なものだ。
だからわたしは大人しく仕事に行く。
つまんない人生だけど、しょうがない。
だって何にも頑張りたくないもん。