遺書みたい。
自分の中に暗い気持ちや悲しい気持ちがないと、創作ができないと思っていた。まあ実際そうだったんですけれども。
今はなんの気持ちもなくて、仕事は充実しているし、他者やアルコールに過度な依存をすることもなく、しっかり目標を持った日々を過ごしている。
ただたまに思い出す。
死にたくてしょうがなく、わたしが世界で一番不幸だった(正確にはそう思っていただけ)の日々を。
今でもたまに死にたくてたまらなくて、でもそんな勇気はなくて、朝になったらけろっとして仕事に行く。
結局わたしはただの凡人で、なんの才能もなかった。
今は絵も文も、何も関係のない職場にいる。
たまに頼まれて掲示物を制作するくらい。
みんな褒めてくれる。
それでいい。
天才じゃなかった。
何にもならなかった私。
いつかインターネットで見つけたらよろしくね。
もう全部諦めちゃった。
自分の昔のツイートを見た。
何もかもうまく行かない時期に入る。
まあ全部自分のせいではある。
でも昔と違って他人のせいにはしていない。
…いや、果たしてそうだろうか。
その謎を探るべく、自分のツイートを遡ることにしてみた。
そもそもこのアカウントは2014年からやっている。割と長いことやってるんだな。昔はしょっちゅうアカウント消してたのに。
どうでも良いとは思うけど、ツイートはよく消すが、絵はできるだけ消さないようにしている。なんか絵は自分の化身みたいな感じがして消しづらい。言葉より絵のほうが重い、私の場合。
それもあるし、まあ純粋に文字を追うのは面倒臭いのでメディア欄だけ見ていこうと思った。
結果的に昔の私と今の私、ほとんど何も変わらなかった。
どうにか人生を向上しようとする時期と、一生床に這いつくばってる時期が、絵から、それはもうよくわかった。
ほとんど、と言ったのは唯一変わった事があったからだ。
あまり意識していなかったが、自分の中の何処にもぶつけられない怒りや悲しみの集大成、即ち殺意が、“自分“ から“他者“に移っている。
確かに昔は永遠に自分を責めて全てが私のせいだと思い酒と自傷の合間に絵を描いていた。昔の絵の大体が泥酔で描いたものでシラフのものは恐らく少ない。
だが今は昼間の仕事をしてその合間にシラフで絵を描いている。
何かあったら「もう死にたい」と思っていたのが「クソが殺すぞ」にいつしか代わっていた。
それが良いかどうかはわからないが、人生のターニングポイントだとは思う。何があったのかはよくわからんが、絵を見る限りには何処かでそう変わってる。
ここで、果たしてそれが良かったのかと考える。
昔と比べて酒が飲めなくなった。ストゼロしこたま飲んでいたのが今じゃ7パー1本でヘロヘロだし、すぐに二日酔い。
飲める場所には何処にでも行って朝まで飲んでまた飲んで、そんなことを毎日毎日。
体力は落ちたしめちゃくちゃ太った。それはめちゃくちゃ最悪だったな。
今は週に2回飲めば多い方で、毎日なんとなくのんびり生きてる。自傷もしなくなって、目覚めも良くなった。きっとすごく健康になってる。
圧倒的に今の方がいいはずなのに、何故か昔の方が良かったと思ってしまう。
だってその頃の絵の方が私だったから。
すべてをメチャクチャにして、とにかくめちゃくちゃにめちゃくちゃだった。
多分それは、人生から逃げてるからだろうけど、それでも、わたしはめちゃくちゃなのが大好きなんだ。
自分に酔って、不幸ぶって、世界で一番可哀想なブスでいたら、だってその方が傷つかないし簡単だった。
そのままでいたかった。
私は、結局根本がクソだから。
全然死にたい。全然辛い。我慢したんだよ。
生まれ直したいなんて思わないくらい死にてえよ。
私は今、他者に責任転嫁しているだけで、ずうっと自分が悪いんだよ。
外装変えても搭載されてるものが同じだから、今も昔もゴミ。
気が付けて良かった。
やっぱり私が悪いんだ。
ボージャックホースマン、最終回について。
ボージャックホースマンの最終回。
「人生辛いがいずれ終わる」ボージャックが言う。
ダイアンは「人生って辛いけど、それでも生きていかなきゃ」と静かに言う。
馬か騒ぎな人生を過ごしてきた2人。うまくいかないことだらけで、辛いことばかり。
このセリフは、まだ服役中のボージャックは人生に少々後ろ向きで、結婚したダイアンは人生に前向きになってきたように聞こえる。
だけど、その後にダイアンが「とってもいい夜、でしょ?」と言ったあと「ああ、いい夜だ」とボージャックが答える。
初めのセリフの答えになっているように私には聞こえた。
人生はいつか終わる。それでも生きていかなきゃいけない。辛いけど。でもいい人生だなって振り返ればきっと思えるようになるし、そうするために努力しなくちゃ。
暗い夜に煌めく星。それは暗い人生の中にたまに光る希望のように感じた。
皆自分はなかなか変えられないし、新しいことへの不安もある。だけど周りと調和して、少しずついろんなことを諦めたり許したりして、生きていかなきゃいけない。
ボージャックとダイアンはそのあと黙って星空を見つめる。
お互いなにか話そうとするけど、何も言えないまま、長かったボージャックホースマンが終わる。
正直ハッピーエンドやバッドエンドとか、名前がつけられる綺麗な終わり方ではなかった。
でもそれって人生と同じで、それが人生なんだよ。
1人の人間(馬だけど)の薬中アル中はちゃめちゃ人生を体験した感覚になるので正直重い。
でもいまだに人生に絶望した時はボージャックホースマンを観る。
何があったって、生きてくしかないんだよ。
名前の付かない私について
市役所に着く。お母さんに「これ」と駐車券を渡された。車停めておくからサービス券を貰ってきてねということだ。お気に入りのカバンに入れて、少し待っててね!と言って車のドアを閉めた。
今や世間は発達障害やASD、HPSなどなんらかの精神疾患を抱えた人間たちで溢れている。
漫画やエッセイなどは「生きづらい私は〇〇です」など何らかの精神疾患の丁寧なご説明から始まるものも多い。
人との関係をすぐに壊す。
自分の感情がコントロールできない。
悲しくて死にたくなる。
そんな私には、どんな病名もつかなかった。
正直、病名のついている人が羨ましい。
私の人生は特段語ることもない。
優しくて美人な母親が一生懸命育ててくれた。妹も可愛く外交的で、しっかり仕事をこなし周囲から信頼されている。
私だけだ、ブスで無能なのは。
酒に頼り全ての事象から逃げている。
正直何か理由があれば良かった。
精神疾患だとか、なんとか。だがそんなものはない。ただただ怠惰なダメ人間というだけだった。
仕事はしていた。
物を売ったり、時間を売ったり。
結構色々な仕事をしてみた。
どれも上手くはいかなかった。
自分が全てぶち壊した。
優しい人、変な人、
いろんな人と出会い、お付き合いした。
全員と縁が切れた。
絵を描きたいと思った。集中力もなく、気が付いたら床や壁を見ていて、あぁ才能がないんだなと思った。
職場の、
まあもうそれは良いや。
とにかく、これら全て何故こうなるかは分からなかった。産まれて、社会と関わってからずっとそうだから。
実際そういうものだと思っていた。
どの仕事もどの人間も、長くて1年でさようなら。
みんなそうだと思っていた。
だけどそうでは無いらしい。
この話を周りは面白いと笑ってくれる。よく言えば一期一会だし。
だけど、面白いと笑った人は、今、誰も私のそばにいない。
みんなが出来ることを、出来る人ほどはできないし、出来ない人よりは出来る。
ずっと"出来る人"と"出来ない人"の真ん中で生きている。
どうすれば分からなくなった。
今もわからない。ずっとわからない。
精神疾患を持っている方が羨ましいとかではない。
ただ、精神疾患もなく何もなく、素面なのに、渡された駐車券の存在を全く忘れて、そのまま車に戻ってくる私は救われないし死んだほうがいいんじゃ無いかなって。
「何のために駐車券渡したと思ってんだよ」と言われた時に、何のために生きているのか分からなくなった。
これっぽっちのことで。
つまんない人間だよな。
そういう話。
走って逃げる。
常に追いかけられている焦燥感。
時間やストレスやその他いろいろ。
それから逃げながらも昼職を始めてしばらく経った。
前の職場では、どうせすぐ辞めると笑われていた。その職場の方を辞め、昼間一本で生活している。
これまでなんの努力もしなかった。
なんとなく好きな商品のある販売業につき、なんとなく嫌で辞めて、なんとなく無職でいた時になんとなく始めた夜職。なんとなく酒を飲み、なんとなくいい感じになった男と寝て、なんとなく付き合って。
仕事を変え男を変え、飽きたら癇癪を起こし問題を起こし、その繰り返し。
ぬるま湯みたいな、ふやけた人生。
6年続けて飽きちゃった。
別にこれからも頑張ろうとは思っていないけど、ただなんとなく、行けるところまで行ってみようかなって気持ちになった。
急に興味のあった分野のスクールに通い出した。学校なんて自分から行くと思わなかった。お勉強大嫌い。
なんかやれそうだったから、その派生でもう一つ興味のある分野の本を買った。こっちは独学。
頑張りすぎると疲れちゃうから、ちょっとずつペラペラ冊子をめくる。
今わたしはなんとなく「こうなりたい」みたいなものが出来た。
穏やかな人生を求めている。
わたしは時間が決まっているのが好きじゃない。あと、好きな時間にトイレに行けないとか、音楽を聴けないとか、人に話しかけるとか、好きじゃない。
要はただのわがままなんだけど、どうもそれらが身体に合わず、よくお腹を壊したり口内炎ができたりする。
だから、できるだけ自分の望む姿で生きていかれたらと思った。
数年前までそんなふうに考えるなんて思ってもみなかった。
未だに生の基盤に死はあるけれど、とりあえずやってみる気になったんだ。
もっと早くこう思えればとは思うけど、でも、これまで漂っていた6年間は無駄じゃなかった。
通っているスクールは、わたしがいつも泥酔していた公園の近く。
興味が出た分野の本は、夜職の時のお客さんがくれた図書カード500円分と、ひたすらブロンを買ってついたTポイントを使ったから408円の破格で買えた。
それだけでもまあこれまでの時間って無駄じゃなくて、なんか意味あったのかもなって思えちゃう単純な脳みそ。
結局人生はどこかで繋がってて、なんとなく生きてるつもりでも自分で伏線張ってるんだと思う。
それを回収するかは作者次第だけど。
わたしはきっと、すごくつまんない人間になった。
毎日仕事して、0時までには寝て、1週間に1度習い事をして、2週間に1度好きな人と会って、お酒はたまに少しだけ飲んで。
前まで呼ばれたらすぐお酒飲みに行って泥酔して諭吉ぶっ飛ばしたりして、昼間帰ってきて夕方起きて仕事行く生活してた。常に好きな人と一緒にいたくて、いっつも喧嘩して、すぐ結婚しようねーって言って。
それもすごく楽しかったけど、今のほうが楽しいな。
好きなブランドのお洋服も新作のデパコスもポンポン買えなくなっちゃったけど、でもそれ以上に欲しかったものが手に入りそうなんだ。
それほど興奮する事ないよね。
自分を変えるには環境を変えなきゃいけないの、よく分かった。
まあきっと飽きたらまた投げ出すけど、暫くはなんとなく無気力から逃げててもいいかなって思ってる。
いつ死ぬかもわからないし、どうせ、死にたくなったらいつでも死ねるしね。
昼間の話。
昼間、わたしは接客業をしている。
なんの保証もない夜の仕事一本で、これからを過ごすのが不安になったからだ。
酒を飲み泥酔しオトコを追っかけていた。気がついたら社会保障や年金という文字に追いかけられるような歳になっていた。もっと早くに気にかけるべきだったが、ノリと勢いで避けていた。重い腰を上げ、やっと日の元の人間や社会と関わりを持とうと思ったわけである。
接客業をしていると、色んな人が来る。
平日の昼間は母親が小さい子どもを連れていることが多い。
商品を持った子どもをレジへ促す母親。
「ほら、これお姉さんにお願いして」
微笑みながら子どもに呼びかける母親。
辿々しい言葉で「おねがいします」と言いながら、腕を伸ばして「お姉さん」に渡そうとする子ども。
わたしは仕事をしていて、その瞬間が一番嫌いだ。
まるで自分の子どもが万人にとって尊い存在であることを疑わない親と、善も悪も知らずただ純粋な小さい子ども。
「お姉さんも子ども好きでしょ?可愛いでしょ?」とでも言いたいような目がわたしは怖くて仕方ない。
子どもは嫌いでも好きでもない。普通。
というか周りを見てたくさん人間がいて、その中でただ数年生きているか数十年、十数年生きているかの違いなだけで何をどう好けばいいのか本当に分からない。
子どもなだけで可愛いとかいう思想も持ち合わせていない。
人を見るときに可愛い、格好良い、素敵だ、と無意識にカテゴライズする。そう思わない人間には特に何も思わない。
帰り際、「ばいばい」されるとわたしは困ってしまう。
結局「ありがとうございます」という。
でかい人間にするように、丁寧に。
お見送りの方法はお店で決まっているから、そのようにする。
母親は怪訝に思っただろうかとチラリとみるが、もう「お姉さん」の方なんて見ていない。
商品を抱えた我が子を愛おしそうな目で見つめているだけだった。
わたしもいつかそうなるんだろうかと思いながら、今日も酒を飲んでいる。
レモンサワー、コンクリート。
ド素面なのに、昨晩ODしたような感覚で起きた。朝から最高に気分が悪くて、記憶を辿ってみたけどなんなら酒すらほぼ飲んでない。ただ脳が終わってた。
元気のストックは昨日で使い果たしたのか。
誰とも喋りたくないけど、八つ当たりするのも嫌なので、放っておいて欲しかったのに、わたしに元気がないだけでイライラされて大きい声出されるとパニクるじゃん。
泣きながら家出て、いつものバッグに付いてるクマを握って、でも行くところなんてないし近所グルグルして煙草と酒買って。
何のために生きてるのかよく分からないし、そもそも人生へのやる気がない。これは昔からそうで、もう治らない気がする。
毎日悪口言われて笑い物にされながら仕事してて、普段は全然大丈夫なんだけど、たまに本当に無理になっちゃう。
みんなはわたしが夏でも長袖の理由なんて知らないし、ストックしてあるブロンも錆びたカミソリも知らない。知らなくていいんだけど。
仕事してる人たち、というか人類みんな、見えないところで努力してるし。
ただわたしは、可愛い人からブスだって言われたり自分よりブスなおじさんからブスだって言われたり、そんなつまらないことで落ちるような弱い人間だから、努力の方向が少しおかしくなっちゃうだけ。まあブスなわたしが全部悪いんだけど。
話を戻して。
人生へのやる気がないのは昔からなんだけど、だから早く死のうと思ってた。
だって生きる気すらないのに、勤労納税なんてものやる気はなかったから。
だけどたった5階から飛び降りる勇気も、公衆トイレで首を吊る勇気もなかったから死ぬのは諦めた。
だからまあ生き続けることを選択したわけなんだけど。
失敗して連れていかれた病院の先生に、80歳でリスカしてるおばあちゃんいないでしょ?って言われたけど、80歳までに死んだか、そんな体力も無くなって諦めただけだと思うんだよね。
諦めは大事だよね。
目の前の障害者ボッコボコにしてやりたいなっていうファイトもあるけど、ただあったかい布団で横にならせて欲しいっていうやる気のなさもある。
病院行って診断されても、躁鬱気質もボダ気質も全部ただのカテゴライズで血液型占いみたいなもんだしつまんないよね。
頑張って問題起こさないようにしてるんだよみんな。
最悪だな。なんなんだマジ人生って。
そもそも人として欠陥があるのに、男と居たがる厄介な部分があるから最悪なんだよな。
しかも大体おんなじようなタイプといるから地獄見るんだよね。大人になったら落ち着くかと思ったけど、この歳でそれやってて本当に恥ずかしい次第でございます。
というわけで薄暗い駐車場で、レモンサワーを飲みながらこれを書いた。
全部捨てるには死ぬしかない。死ぬ気でやればなんでもできるとは言われるけど、死ぬ気の人は、死ぬ以外のところにやる気のベクトルは向かないだろ。