人生について一度考えてみる。
幸せとはなんだろう、と考えてみた。
人によって幸せは違うと思うが、わたしにとっての幸せとはなんだろう。
わたしにとっての幸せは、小さいけど清潔な部屋に住み、昼間の仕事をして、愛する人がいて、毎日ご飯を作り二十三時には布団に入っていることだ。
でもよく考えたらその生活、三年前にしていたんだよな。じゃあなぜ虚無感に包まれ死にたくなったのか。
考えてもわからなかった。となるともう性格の問題なんじゃないかと思う。
人生になんの問題もなく生きてきた。努力をして挫折したこともなければ、めちゃくちゃにいじめられた経験もないし、大きな病気や怪我もない。なのにどうしてこんなに人生頑張れないのかってもう元来の性格の問題としか考えられない。
だけど死ぬくらいなら、やりたいことをやってどうにもならなかった時に死ねばいいと思う。いつまでも地元にとどまり水商売を続ける気はないし。
でもそのやりたいことをやるHPがない。というかやりたいことってなんだかわからない。本当は絵あんまり好きじゃない。最近漫画読むのも面倒になって、小説なんてしばらく読めていない。生きてるの疲れる呼吸が疲れる考えるの疲れるなんにもしたくない。要は死にたいってことになるんだけど、死ぬのも痛くて怖いからぬるぬる生きてる現状にまたさらに死にたくなるという永遠ループ。
生きることに力を使うよりも死ぬことに力を使うほうが効率的だと思ってしまう。
わたしには何もない。容姿も内面も最低レベルでどう頑張ってもなんの意味もないんじゃないかと思ってしまう。そんなことはないにしろ、自分がそう思っているんだからもうどうしようもない。
結局のところ人生に満足感を得られない理由は、努力して生きていないからということになるんじゃないか。
努力をしなきゃ幸せになれない。だけど努力しても幸せになれなかったらどうしようと思ってしまうから結局何もせずにフラフラしているだけになる。そんなんじゃダメだってわかってるんだけど、もう今から何か始めるには遅いような気がする。こうやって言い訳ばかりして逃げている自分にムカつく。誰かがどうにかしてくれると思いがち。そんなはずないのに。誰かに必要とされたいと願いがち。そんなの無理なのに。
何かが欲しいなら努力しなければならない、そういう当たり前のことをしてこなかったので今のわたしにはなにもない。
悪いのは自分だから、自分でどうにかするしかない。
眠い脳。
今日は何もしなかった。トイレにいる時に、出かけようと思ったけど、手を洗ったらもう外に出る気は全くなくなったので、布団に入って眠った。嫌な気持ちのまま寝たから嫌な夢を見て嫌な気持ちになったが、明日は同級生と会うので今日出かけなくて良かった。
タイミングが合えば、彼氏とカラオケ行ったりゲームしたいなと思ったが合わなかったので家でご飯を食べた。
頭の中でわたしがずっと笑いながら生きてる価値ないよと話していた。わたしが消えても誰も迷惑しないが、わたしが死んだらみんな迷惑するのでそういうのはやめようと思っている。今わたしが死んだら、死んだ彼女を死んだ娘を死んだ同僚を抱える人間が幾ばくかいるので、そういう方々に迷惑をかけるのは良くない。死ぬのも案外面倒でやる気も起きない。死んだら困る=死んだら悲しい ではない。困るというのは仕事に穴があくとか、そのせいで誰かに責められるかもしれないとかそういうもので、悲しいとは全く違うでしょ。死んだら困るような人間でまだ良かった、誰かの脳に少しでも間借り出来ているなら。
そういうことで最近は、人に迷惑をかけない、取り返しのつかないことはしない、と常に頭に入れて生活している。
取り返しのつかないこととは、例えばグラスを割るとか、怒るとか、その場の約束とか、言葉の選び方とか、そういうの。大抵わたしは取り返しのつかないことをやりがちなので、慎重になっている。
だけど猫を飼いたくてしょうがないのでちょっと苦しい(無菌室にも住みたいので、これは困る)。
そういえばうちのトイレは異次元と繋がっていて、これはふざけているわけじゃ無く、わたしが子供の頃からずっとそうだった。茶色い木目を眺めていると、今や存在がとてつもなく不思議に思えてくる。大人になってからその感覚はなくなってしまったが、最近また異次元にすこし繋がるようになった。くだらないけど。
こんな話を誰かにしたいけど、話してなにか返答や意見が欲しいわけではないので、たまにでかい独り言として文字を叩きつけてるだけ。それで満足して今日という日もなんとかやり遂げたような気持ちになる。
こんなくだらない休日の締めくくり、レモンティーでマイスリー飲んでわたしはまた眠る。
イチローは詐欺師。
努力するのはとても大切。
夢に向かって努力するのってすごい。
でも、「努力すれば夢は叶う」って努力して夢が叶った人間がゆってるのはめちゃくちゃムカつく。
努力した人間がみんな成功するわけないじゃん。夢与えるのはいいけど、嘘はつくなよ。それって嘘じゃん。
絶対努力なんてしない。達成感とかいらない。結果もいらない。ずーっと平均で生きて来たんだからそのままでいい。波風立てたくない。幸せにも不幸にもなりたくない。もう疲れた。疲れたからもういいや。
ずっと布団で眠ってたい。眠くなって来たから寝るおやすみ。
路端にでかいサーターアンダギーが落ちてた。
仕事はもう逃げられないところまで来たので、やるしかないと思いながら、仕事前は毎日お腹壊すしゲロ吐きそうになる。ていうか生きてても仕事しなきゃいけないならやめても意味なくない?人生の仕様クソでは?
でもODもリスカもしなくなったので、ちょっと偉い。今は用法容量を守って正しく使ってるよ。
最近また一つ彼氏の好きなとこ見つけたのだけど、言葉のチョイスが可愛いところ。「〜すなわち」とか「(何かの事象)を否定した時に〜」とか。数学の設問でしか見たことないような言葉。日常会話で「これを否定した時にこれが確定する」とか使う?すごい。わたしは逆に偏差値の意味もわからないようなバカ高が最終学歴なので、うわ!すごい!とか大概話きいてなくて、顔がすこぶる良い!とか思ってる。
飲屋街にごまんといる馬鹿女の底辺となんで一緒にいるんだろう。やっぱり頭良い人ってちょっと変わってるんだろうなあ。
努力したくないけど幸せにはなりたいクズがわたしで、そのスタンスを変えられないし、都合悪くなったら逃げたいし、彼氏の伏せた目にかかる睫毛のカーテンを眺めてのんびりしたいだけ。疲れることも悲しいことも全部やりたくない。だって赤ちゃんだし。「大人になって、みんな嫌でもやってるんだから」って言われても、みんなやってるならわたしやんなくて良いじゃん!出来る人でやってよって思う。好きな人のために努力するのはいいけど、好きじゃない人と自分のために努力するの無理。結果でないし見えないし。好きな人はたくさん褒めてくれる。起きただけで褒めてくれるし、ありがとうって言っただけで褒めてくれる。わたしのためにこっそりタクシー呼んで、後から電話で教えてくれる。
頭悪いから幸せまでめちゃくちゃ遠回りする。でも絶対最後は幸せになってやるとおもう。幸せがなんだかはよく知らんけど。
今日本当に純粋にこの人のことわたしが幸せにしたいし、幸せにしてくれると確信したところで、路端にこぶし大位のめちゃでかいサーターアンダギーが落ちてた、多分このことはずっと忘れないと思う。
社会科。
もう誰にも何も言えない。
人間のこと信じるななんて教わらなかった。素直に全部話してた。でも人間関係がやだから苦しくなったの、前も同じだったね。
浅はか。ほんとに浅はか。馬鹿。
思想が否定されると思う。ということは自分が間違っていると、自分でわかってるということ。苦しい。
楽じゃない楽じゃないんだよ。
はたから見れば楽だろうけど、人間のそれぞれの考えを見ちゃったらもうぐちゃぐちゃになるんだよ。
逃げたい、逃げらんないから。
私は使われてる。裏かいて私が使うしかない。それもシンドイけどしょうがない。生きてくためだもん。ごめんなさい。
嘘ばっかの世界きたない。誰も信用しない。
助けてって言って助けてもらえるのは子供の頃だけ。あと可愛い子。
わたしはわたしのポジションでやるしかない。頑張るしかない。
苦しいシンドイ悲しい。わたしが弱いから悪い。全部わたしが悪い。苦しい。
ほんとにくるしい。でも眠れるから、ご飯食べられるから、仕事にいけるから。正常だよ。大丈夫。まだ頑張れる。わたしは全部頑張る。大丈夫。頑張ろわたし!負けないぞわたし!幸せ!幸福!
助けてって何を。木目も哀しいね。
おならがすごいから病は気から。
2年前無職だった。毎日パソコンして、デッサンして、絵描いて、寝る。迫り来る何かに怖くなって自傷。毎日毎日生きててごめんなさい。
でも仕事始めた。夜のお仕事。その後夜と並行して昼間の仕事。続けられなくて三ヶ月ほどで辞めた。クズだ。
ああ疲れた。くたくた。
雪が見たい。白くて冷たい、雪が見たい。
私は必死だ。格好悪いと思う。でも必死にならなきゃ生きられない。生にしがみついて、落ちそうになりながら、必死にすがりつく。
彼氏が大好きで支えたくて、頼ってもらえるようになりたくて、だから頑張りたい。
彼氏っていうと薄っぺらいけど、本当に大切な人。好きっていうだけじゃなくて、ちゃんと私のこと考えて叱ってくれる人。愛してくれる人。努力できる人。
わたしはその思いに、なにもすることができない。毎日仕事に行くことが精一杯で、しかもサイテーな仕事で、お酒飲んで困らせるような人。
疲れた。大したことしてないのに。もうくたくたなんだよ。生きるのってこんなに大変なんだ。これまで楽して来たツケがまわってきた。
困ったら死ねばいいって小学校から思ったのが悪かった?産まれたことが間違えだった?どこでどうして間違えた?人格の問題か。
仕事の問題じゃない。憂鬱にはそりゃなるけど、また無職になるわけにはいかない。
子猫を飼いたい。わたしのことを知ってる人がいない土地へ行きたい。悲しくなりたくない。ずっと眠りたい。痛いのは嫌だから、楽に。
楽な方へ行くと辛い人生だから、きっと苦しんだほうがいいんだろうな。
好きな人を守りたい。わたしが守りたい。そればっかり。でもこんなんじゃダメ。
だから明日も頑張る。
おれは宗教だから。
赦し、生のすゝめ。
好きな人を悲しくさせた。これで何回め?
ODリスカなんのため?って一昨日くらいかな。考えた。
わたしはお酒を飲んで人と話をする仕事。
わたしお酒が好き。人と話すのは嫌い。
お酒飲まずに昼間事務仕事するなら、お酒飲んでおじさんと話したほうがいい。
確かにわたしは昼間の仕事をしている人の方がすごいと思う。
だって素面で人と接して、同僚や先輩と良好な関係築きながら何年も何十年も仕事するんだよ?
わたしはそれができなかったから、夜の仕事してる。
素面だと、人の考えていることが気になってしょうがない。こんな風にこの人は笑ってるけど、きっとわたしを嫌ってるんだって考えが離れない。この人今わたしの目みてる。鼻見てる。口見てる。ブスだと思って見てるんだ。こわいって思う。
夜の仕事の方が顔見られるけど、おじさんたちは「かわいい女とお金を払って話をしにきている」っていう訳で、ブスだったら不快感をわかりやすく表す。目的がこうだからこう!みたいなわかりやすいのがわたしは好きで、昼間の仕事は、目的はこう!でもあの子はブス!みたいなのが嫌なの。「そんなこといちいち誰も考えてねえよ」って言われることあるけど、わたしがそういう考え方するから、自分もやなの。しかも夜の仕事は酒飲むから思考が鈍りやすい。いっとき楽しい話をしたら、いくらブスでもわたしの客になりわたしは金を稼げる。昼間の仕事はそういうのがなく、一定の時給で、「必要だから行くには行くけどただこいつはブスだなw」って思われ続ける。それがどうしても嫌で辛い。誰にも理解されないけど。
まあ結局、昼夜どちらの仕事もして、どちらでも自傷しなくちゃやってられなかったんだけど。
社会に出て三年で、生きてることに向いてないのは理解した。それでもいま好きな人がいるので、その人との未来が欲しくて死なない程度に自傷しながら生きている。
悪いことはわかってる。でも、前は腕切るなんて最悪キモい早く死ねって思ってたけど、誰にも見えないところで、死なないなら腕切ってもいいんじゃない?って思うようになった。だって ストレスのはけ口が、それしかない。どれだけ楽しくて幸せだって、それしか頑張れる方法がない。死なないならまあよくね?
わたしは鬱とかじゃない。
ただストレスのはけ口が自傷ってだけの普通の人間なんだって気付けただけで、生きるのが楽になった。
好きな人は理解できないと思うし、嫌われるとは思うけど、でもそうしなきゃ生きていけない。生きるための手段って人それぞれだと思うし。
わたしアル中になるかもしれない。自傷しまくるかもしれない。でもそれで誰が離れようとわたしはやめられない。
だってわたし生きたい。
幸せになりたいから。