ママは知らなくていい

 

いま、心臓がばくばくと溺れている。

感情の棘は、どんなに小さくても抜けずに真夜中にずぶずぶ深部まで刺さり、心から脳へ直接攻撃を仕掛ける。

人に頼るのはいけないと、すんでのところで思い留まる。耐えてください。お酒を飲んで忘れたい。耐えてください。いま直ぐここで手首をぐちゃぐちゃにかき混ぜたい。耐えてください。外に出たい。耐えてください。助けてくれ、いや、ほっといてくれ。愛してほしい、関わらないで。辛い、甘え、平気だよ明日になれば!

 

昼間、リピートし続けた音楽が鼓膜で流れ、わたしの人生のなかのクソゴミカスな部分を目の前で上映するプロジェクターも稼働し、素敵なミニシアターになっている。すごい!

自殺未遂で後遺症を持った話も、親に泣かれた話も、少年兵も、アフリカの子どもも、全てはわたしの死への糧となり、わたしをどんどん強くする。飛び降りだけは嫌だったけれど、それが視野に入ってきたので、次こそいけるんじゃない?

大切な人を傷つけることや、理由のないでかい不安と、心臓を握られて騒がしく揺れる脳内から逃げられる。それだけで死は魅力的だ。

なにも持たないわたしは飛び降りて自由になれる。正確には自由になれるかどうかはわからないけれど、意味のわからない 人生 というものから一時的に避難できるはずだ。

生きてて楽しいよ、好きな人もいて一緒に酒飲んでくれる友達もいて仕事もそれなりにやってる。でもその好きな人が離れたら?仕事の人に、友達に嫌われて、わたしの陰口でみんな一緒に笑っていたら??未来がわからずこんなこと言うのも、被害妄想なのも、わかってる。でもこわいんだよ。なにをどうやってもこれが取れないし、これらから発生する不安だけではないし、本当に本当にこわいんだよ。

きっと自傷してるけど死んでないから構ってほしいだけだと思われてる。結局死なないんじゃん!なんで辛いの?どうして不安なの?話してみて?わかんないから怖いんだって!

みんな生きるの辛いよって言わないで、怒らないで、なにやってんのって軽蔑した目で見ないで仕事休むと怒るのやめてごめんなさいってば。怖いってまじで。ご飯いらないだけで顔が曇るのやめて何時に出てなにするか勝手にさせて言われるたびに目の前真っ暗になること知らないのかよ。電気消さんでよ。怒らないでよ。頑張るからこれからはもっと頑張るから。怒らないで。ごめんなさい。怒らないで。もう死ぬから。